インターネットの普及に伴う情報メディア社会の急速な膨張により、現実社会(我々の生活する実社会)と仮想世界(ネットワーク上の情報メディア社会)とを有機的に結合する技術が切望されている。このような技術を実現するためには、CAD (Computer-Aided Design) やコンピュータグラフィクス、コンピュータビジョンといった分野が重要な役割を果たす。
本書は、このような分野で扱う物体や環境の幾何学的形状(とくに曲線や曲面)に関する各種の情報を取り扱う基礎的数学を、応用する者の立場から体系的に整理したものである。従来の数学の教科書とは異なり、結果だけを記述し、その幾何学的意味を解説することに力点をおいている。また、「特定の座標系で成立する性質は、座標系を任意にとっても成立する」という幾何学の不変 --- これは、数学の基本的な考え方であるが --- を一貫して重視している。
本書は5つの章からなり、大きく二つに分けられる。第3章までが前半部分で、平面上、あるいは、空間中の幾何学的対象(本書の場合、直線、曲線、曲面)を扱う基礎概念が解説されている。第4章以下の後半は本書を最も特徴づける部分であり、3次元対象物が投影を通して2次元図形として像を結ぶという枠組みで、その見え方が解説されている。具体的な構成は以下の通りである。
第1, 2章では、2次元平面と3次元空間におけるベクトル解析の基礎が与えられている。ベクトルの定義、直線や曲線、平面の表現、曲率の計算法などが述べられていて、高校や大学教養課程の数学の復習になっている。それゆえ、自分の知識を確認しながら、また忘れている内容については思い出しながら読み進めることができる。第3章では、3次元空間中の曲面に関して古典的に得られている性質を解説している。具体的には曲面の表現法にはじまり、法線や接線、曲面の曲率の計算法が述べられ、標準形による曲面の分類、曲面の構造方程式などが解説されている。
第4章では、3次元空間中の曲線や曲面の見え方の性質(アスペクト)が説明され、余次元(あるアスペクトが見える視点の集合の次元を存在する空間の次元から引いたもの)という概念を用いてアスペクトを統一的に分類している。また、オランダの心理学者 J. J. Koenderink らによって1980年代に発見された対象物の輪郭線のアスペクトを余次元を用いて統一的に説明している。個々に得られた結果が余次元という概念によって結びつけられ、整理されていく展開は、読み応えがある。第5章では空間図形とその投影像との関係を記述するという観点から射影幾何学を整理している。射影幾何学を扱う教科書 --- 今やほとんど絶版になっていて、手に入りにくいが --- はふつう、公理系から出発し、厳密な論理を重ねてさまざまな定理を導出している。これに対し、本書はユークリッド幾何学を前提として、長さと複比を用いて射影変換を定義し、射影変換を適用して特殊な配置にしてから射影変換に不変な性質を示すという論法をとっている。そして同次座標の概念を導入することにより、点や直線や平面に関する関係を体系的に導出している。いわば、ユークリッド空間をペースにして射影空間を見出すという立場である。記述も具体的で、射影幾何学を``体感しながら学べる''ように工夫されている。なお、射影幾何学を本書で``体感''したあと、さらに詳しく学びたいと思う方には、最近、増刷された J. G. Semple and G. T. Kneebone: Algebraic Projective Geometry, Oxford Univ. Press, 1952 (reprinted in 1998, ISBN0-19-8503636)がお勧めである。
ただ、本書は箇条書き形式でさまざまな性質が羅列されているので、ストーリーがほとんど感じられない。それゆえ、読んでいてあまり楽しい本ではない。辞書として位置づけ、結果のみを利用するという立場からすると便利な本だが、深く理解したいと思う者にとっては少々不満が残る。また、紹介されている性質をどのように使って実際の問題を解くかというインストラクションもほとんどない。この点が残念である。具体的な問題に対する応用例を豊富に盛り込んで欲しかったというのは欲を出し過ぎであろうか?
しかし、本書には、これらが色褪せてしまうほどの魅力がある。とくに本書に好感が持てるのは、不必要に抽象的・形式的な述べ方を避け、本質的なことを平易に述べるというスタイルをとっていることである。これは、長年、多くの実際の問題を手がけてきた著者の経験の賜物であろう。読者の直観的理解を助けるために図もふんだんに用いられていて、初学者や学生にも読みやすい本である。また、ところどころに専門的な話題も盛り込まれていて、専門研究者にとっても必見の書である。